習字と書道の違い
字を書くということでは同じなのに、「習字と書道は何が違うの?」「そんなの考えたこともない!」というのが普通なのかもしれないがそこには大きな違いが有り、本書は、「書道本」として起草した。
「習字」には無いが、「書道」には「道」が付いており、ただ単に書写技術だけに焦点を当てた「習字」ではなく、人としての有り様を追求する手段として「書」を選び、鍛練を積むものであると感じているからである。
それぞれの人が身に着けた考え方ややり方を、「変えた方が良い」と理解した時に、柔軟に変えられる人は、人として熟練の域に達していると言える。このような人は、自分にないものは直ぐに取り入れ、間違った考え方ややり方を直ぐに改善して行くので、見る見る書写技術が上達する。
つまり、自分の内面を磨いて行くことと書写技術の向上は、相関関係があると言っても良いのである。前後左右の文字を考慮して、前の画やこれから書く画のバランスを考えながら、鋒先のコントロールを上手くできる人は、周りの人達との折り合いも上手く図れるのは言うまでもない。
直ぐに怒ったり、他人の悪口を言ったり、愚痴をこぼす人や、身に付いた技術を独り占めにするような人は、自分自身で壁を作り変化を拒むため、伸び悩む人だと言える。「物事を客観的、俯瞰的に見ることができ、自分自身を変えられる人になる」ことが、「書道」上達の近道である。
誤解をしているのもかかわらず、何とも思わず、同じ行動を繰り返す!
「怒り」、「悪口」、「愚痴」等をいつも繰り返し発する人は、口から吐き出したら楽になると、考えているように見える。しかしこれ等は強力な伝染病で、周りにその毒をばら撒くだけでなく、威力を増して自分に返って来る。(仏教用語でこれを「三毒」という)「独り占めにする」のも一見、儲けたように誤解しているが、実際は周りの人へ「この人とは一緒にやれないね!」という種をばら撒く行為で、この種が成長するとどうなるかはいうまでもない!
宮本武蔵流鍛練方法の紹介
自分が頭で理解し、思った通りに筆を動かそうとしてもそう簡単に動かない。あらゆるスポーツや自動車の運転と同じである。自動車に初めて乗った時に、一つ一つ確認しながら繰り返し練習して徐々に上手くなるのであって、初めからスラスラ行くはずがない。書道ではほとんどの人が毎日字を書いているから、何日か練習をすればできると思う様であるがそうはいかない。
この上手くいかない原因は、書道の場合、次の項目に絞れると考えている。
- 何を練習すれば良いかが分からない。
- どのように練習すれば良いが分からない。
- 練習して最後までやり通す意思があるかを自覚していない。
そこで、何かを身に付けようとする時に、対象を正しく把握して、自分を正しく把握して、正しく繰り返し練習して目指す自分を確立しようとした天才を紹介する。『五輪書』<地の巻>・<水の巻>・<火の巻>・<風の巻>・<空の巻>を著した宮本武蔵である。著書の中では、千日 (三年)の稽古や万日(三十年)の稽古で鍛錬をすると、必ず見えてくるものがあると言っている。
十三歳から二〇歳代後期にかけて六〇回以上の真剣勝負に一度も負けなかった人である。ほぼ毎年3~4回、自分の命を懸けた真剣勝負を十六~七年間も続けること自体異常だが、だからこそ、死なないための実践的な真剣勝負に関する所作を確立しようと、全身全霊で追及せざるを得なかったのだろう。
詳しい「五輪書」は各自お読みいただくとして、ここでは、稽古法のエッセンスだけを先にまとめて示すこととした。
心の持ちよう
心も体も水が器に四方でも丸でも自在に形を変えるように、柔軟な対応を日頃から心掛ける
観察
「観の目」(状況全体を捕え見る目)と「見の目」(対象をきちっと捕え見る目)の両方で見る
技法・奥義
剣の構えは有構無構・構えは五つだけだが、相手により構えも太刀の振り方も変わる
稽古法
書かれたことや習ったことを自分が見出した理論だと思って、常にその身になって試して工夫すべきである 今日は昨日の我に勝ち、明日は下手に勝ち後は上手に勝つと思い、千日(三年)の稽古を鍛とし、万日(三十年)の稽古を錬とすべし
岡部流鍛練方法の勧め
書道の練習が上手くいかない大きな要因は、次の項目に絞れると書いたが、本書の内容では①②を説明している。では③はどうするのか?
②どのように練習すれば良いが分からない。
③練習して最後までやり通す意思があるのかを自覚していない。
③は自身が決めることで、誰も強制できない。本書を読んで理解するに連れ、①②の回答を自分で見つけられる。つまり行動を起こさない人には分からない世界と考えている。
行動を起こし、自分に必要なものは何かを「見つけに行こう」とすることが必須条件である。
「書道」を上達したいと思っている人は、「物事を客観的、俯瞰的に見ることができる」人になるよう努力することで、今まで見えなかったものが見えるようになり、周りへの心配りが、文字を書く時の心配りに繋がって行く。
また本書に書かれた基本を、自分が考え出したように理解して繰り返し鍛練することで、「何かが見えて来る」と「五輪書」は示唆している。「自分が考え出したように」というのは、自分の言葉で自分の腹に落とし込むことが大切なのだと理解した方が良い。
この本を読み、自分の力で鍛練を重ねた方が、日本の書道を牽引して行かれることを願って止まない。
赤ん坊が産まれて、誰が教えるでもなく言葉が出始めるのが一歳半くらいだろうか? 実はある研究者の報告では、三万回くらい囁かれると喋り出すというのである。「パパ」でなく殆どの赤ん坊が「ママ」と口にするのも、ママが一日五十回から六十回位ごと日囁くと一年半となる。「学ぶ」とは「マネル」から来るというのも理解できますね! 「繰り返しと継続の力畏るべし!」
岡部書道教室の方針と経緯
平成二十八年一月から北九州市八幡西区・折尾工房で、私の同級生から請われ、教えることになった。月2回、一回2時間で開始したが、練習時間が限られるので、次のように約束をして開始した。
- 教室では、「書道知識」「姿勢」「基本文字と筆の使い方」「書道技法」を順序立てて学び、それを書く。
- 教わったことを家で練習して、書いたものを提出する。
- 各自、前回「何を聞いたか」を記録して、次回に提出する。
これを、「姿勢」「筆の持ち方」「基本文字(一)(三)(川)(人)」「書道技法が入った代表文字」の順に一年間続け、二年目以降には、「氏名」「住所」「片仮名」「平仮名」を平成三十年五月までに一通り行った。この結果は次の通りであった。
《受講者側》
- 始めの一年間は、それぞれがまとめる報告書の内容がバラバラで、私が伝えたはずの内容が報告されてなかった。
(私がチェックリストを作成して、誰に何が抜け落ちているかを明確にし、次の回に復習・再確認した。)
- 二年目以降は、皆が教室で聞いたことを確実に記録できるようになり(受講者の相互確認もあり)、ほぼ完璧に伝わった。
- 二年五か月の履歴が各自残り、過去に自分に何が足りなかったのかが分かる形で練習が進行中である。
《教授側》
- 受講者からの報告書を毎回見ることで、自分が何を知っていたのかを再確認できた。
- 受講者それぞれの「考え方」や「やり方」に個性があり、各自ごとに「問題点を見抜き」「対応を提案する」ことに努めた。
- 受講者目線の「必要情報」や「共通にできないこと柄」を把握でき、教える方法に工夫を加えた。
- 宿題を添削下ものを次回に返し、共通の悪い点や個別に注意すべき点などを、詳しく全員に見せながらフィードバックした。
これ等の結果を踏まえ、「初心者がどうすれば効率良く上達できるかの情報」を集めることができ、この本の執筆に繋げられたと言える。
明らかになった「無駄なく上達する方法」とは、次の通りである。
- 教室で教授が書道情報を伝えても、受講者各自が完璧に理解するには、時間が必要である。
- 受講者が書道情報を腹に落とし込むには、自分の言葉で書き直すと早く、確実に身に付く。
- 受講者が書道情報を文字に具現化するには、書いた後に自分が教授になったつもりで赤線添削をし、改善点を見つけ出す。
事前に「頭」の中でイメージしてから「手」を動かし、繰り返し鍛練して慣れることである。(近道は無い!)
岡部書道教室からの報告
平成二十八年一月から始めた書道経験がほぼ無い四人の筆跡をここに紹介する。